目で読むラジオ
音声の文字起こしです。
おはようございます
腹の底に眠る静かなパッションに
光をブランディングと自動内で売れる仕組みを作る
FREPPIESの奴です
えー今日はですねちょっと心のお話をしたいと思います
えービジネスをしていくにあたって
何か心が折れちゃうなっていうね
そういうまたときって
少なからずあるんじゃないかなって思うんですよね
まビジネスに限らずですね
まあお仕事をしていく中で人生にはいろんなことが起き
ますよね例えばま家族の問題だったりとか
あとは大切に思っている友達だったりとか
ま自分以外のその人間関係においてでま色んな事が起きたりとか
ま自分の力では到底ね
抗えないような出来事が起きたりとかっていう色んなことが
まあ人生には起きます長く生きていれば生きてる
程ま色んなことを経験するわけですよね
でなのでそのビジネスに限らずねま
私達がこれからまあの生きていく上でですね
えーその大切にしたいもの
大切にしていた方がいいんじゃないかなっていうふうにね
思うものをちょっとねシェアしたいと思います
えー青森県に森のイスキアっていう協会があるんですね
今も存在してるんですけども
まあ活動はストップしてるある教会があるんですよね
でこの教会っていうのは
まあお青森県に住んでいらっしゃったですねえー
キリスト教の信者であるえ佐藤初音さんっていうねえ女性ま八十代
で亡くなられたんですけども
その方がですねずっとこう運営していた教会になります
でえーそこではですね
まあキリスト教のその信仰の下にですねこう
そこに集まる人々に癒しを与えていらっしゃったみたいなんですね
そういった活動をされていたとでまどういう活動かって言うと
まああのそこに集まる人たちっていうのは
心が折れて疲れてしまってで癒しを
求めてまあ日本全国からその青森県の山というか
森の奥のその森のイスキアにこう集まってね
来ていったそうなんですよね
でえーそういう人たちの話をまじっと耳を傾けて
とにかくお話を聞いて
そしてま手のねかけたまあの佐藤
初音さんご自身が作るご飯を提供してっていうことらしいんですね
ただただ話を聞いて寄り添うとでえーそこにですね
まある男性が訪れてでその男性がですねもう死ぬ
覚悟をしていた人らしいんですね
でもその前に
その自分が死ぬ前にその森のイスキアに行って佐藤初音さんにね
まあうっていうふうに思ったんでしょうね
ま癒されに行こうと思ったのか
というよりはまもう自分で死を決意していてま
最後にその前にですね買っ
てみたいって
ただその純粋な気持ちだったんじゃないかなっていうふうに
私は思うんですけれどもで
その男性がその佐藤初音さんの訪れてですね
でま彼の話をじっとまいつも通りに話を聞いてで
まあさとう宗さんもその男性のねそのまああの様子を見てね
多分これは危険だと思ったんだと思うんですよね
でその夜は泊まりていきなさい
っていう風に伝えたらしいんですけども
その男性はもうとにかくねかたくなに拒んだそうなんですね
で結局止まらずに帰るってことになったらしいです
蓮根さんはその男性にですねおむすびを持たせたんですね
まいつもだったらそこでご飯を食べていただくと思うんですけども
かたくなに帰るっていう男性にね
そのいつも作っているそのおむすびをですねこう持たせてで
その男性は森のイスキアを後にしたそうなんです
でえーその帰り路にま電車の中でですね
蓮根さんが握ったおむすびを食べようと思っで
ま箱をこう開けたらですねえーその中からあの何て言うんですかね
手拭い手ぬぐいでこう包まれた後
おむすびが出てきたそうなんですよ
でそれを一口食べたらもう知ろうと思っていた
その気持ちがもうふわっとこう
溶けてなくなってしまったっていうぐらいに
こうあったかい気持ちになったそうなんですね
でそれまで食べたことがない
美味しい美味しいお結びだったそうなんですよ
で私はそのエピソードを聞いて
砂糖は爪さんものすごく興味を持ってですね
ででももう私がその初芽さんの存在をした時には
初音さんはこのようにいらっしゃいませんでした
ですので彼女のま本もね色々読んだんですよね
そしたらですね
ま彼女はその思いっていうものを大切にしていたみたいで
その思いに共感する人達がですね
まあボランティアでその境界を運営していたそうなんですね
でえーそのはつ初音さんのその日にちの姿勢っていうのは
とにかく丁寧に丁寧に日にちのことをですねえ
取り組んでいたらしいです
例えばニンジンの皮むきをする
でもえー皆さんぴらってね使うんじゃないかなと思うんですね
包丁でま向いてる方もいらっしゃるかもしれませんけれども
ぴらっていうね
便利な道具があって
それでも首都高変わってむけちゃうじゃないですか
でそうやって
もうあのニンジンの顔を収集してむけちゃう
楽な道具があるんだけれども
発明さんはそれを使わないとで
その理由っていうのがそのぴらでそのむく時にね
人参の気持ちを考えたらこう痛いじゃないかって言うんですよ
こう自分がそのこう自分の体をぴらみたいな
ものでこう削がれることを想像すると痛いじゃないかと
そういうことをね
こう考えながらこう料理をしていたんだなって思って
だからもうあのニンジンでも何でもじゃがいもでも
全部ねぴらを使わずに包丁一つでね
丁寧に丁寧に作っていたそうなんですよ
それからねあと
あの接触障害のような女性少女がね
まそこのイスキアに訪れてで
その子のま様子とかま色々見てる中で彼女がね
初見さんが気が付いたことがあったそうなんですよ
それは何かって言うと塩が足りないって思ったの
この子には塩が足りないとで
初見さんはちょっとね
塩をたっぷり聞かせたおむすびを作って
食べさせたそうなんですよね
そしたらねおいしいおいしいって言って
その接触障害だった子が食べたそうなんですよで初見さん曰く
その塩分っていうのがね
体に悪いっていう風に思われがちだけれども
体には必要なものなんだと塩分がないことで
その元気がなくなってしまったりとかこう人間はおかしくなる
んだとだから必要な物はね食べなくてはいけないっていうね
そんな感じで
まあ彼女の周りにいる人達はその思いっていうものをね
こう日にちを受け取っていたらしいんですよね
この初音さんっていうのは
そのキリスト教の信者だけではなくてですね
まああの著名人もよく通う
場所だったみたいなんですねえ
例えば作家の吉本パラさんとか
女優の大竹しのぶさんとかま第一線で活躍している方々もきっとね
人間ですから
まあ私たちにこう見せている姿っていうのは
華やかなあのま
私たちに元気をくれるような
感動を与えてくれるようなお仕事をされて
いると思うんですけれども
やっぱりね心っていうのは時々折れてしまったりとか
疲れてしまったりとかそういうことがねあったんじゃないかなと
でえーそういった著名人も初見さんのところ
イスキアに訪れていたそうなんですよね
なので私もねぜひねそこの初見さんのイスキア
に行って彼女の結び食べたかったなっていうふうにね
すごい思います
でもうそれでその椅子ケアっていうのはその活動をね
あのー初見さんのえーしと共に
もう止まってしまったらしいんですよ
で協会は存在しているんだけれども初見さんのようなね
その活動をするとま大変なことですよねボランティアですからね
だからそのそこでの活動っていうのは
ま終わってしまったらしいんですよ
でそこでちょっとね話が変わるんだけれども
私がですねま昨年ま毎年沖縄に行ってるんですけれども
昨年沖縄に行ってですねま
日本一のパワスポットと言われているような
えせふぁうたきっていうね
そういった場所があるんですよお祈りの場なんですよね
沖縄のお祈りの場あの
儀式の場っていうんですかね
でそこにねえ行く行こうってことになってで
ラハの市内からバスに乗ってですね
そのあのー性があるところまで行った訳です
そしたらですね
なんとなく雰囲気のいい何かこう何かこう
素敵なほっとするような雰囲気とですね
平屋の建物があってで何かこうただ締まってたんですよ
閉まっててなんかでもすごい興味があったんですよね
なんかでも何かお店なのか
こう喫茶店なのかっていう感じの雰囲気だったんですけど
表側が閉まっていたんですね
ですごく興味があってで
裏からちょっとなんか中が覗けるような感じだったので
裏手からですね
買ってみたらその建物のそのあのーうらやパック宿があって
芝生広い芝生のねバックヤードがあったんですよ
でまあまあそこその日はですね
お休みだったから誰もいなかったんです
けれども看板がね立てかけてありました
なんか黒板みたいな看板あの直筆で何か書くようなね
でそこに海のイスキアって書いてあったんですよ
森のイスキアじゃなくて海のイスキアであって思ったわけですよ
これって初見さんのイスキアのと関係あるのかしら
って思ったんですね
で翌々その説明が気が書いてあって
それを読むとやはりそこのね
おなさんが森のイスキアの佐藤一さんとお会いしたことがあった方
でその思いをあのその方のね
地元である沖縄でこう繋いでいきたいっていう風に感じてで
海のイスキアっていう名前でですねえー
ま教会ではないんだけれどもま
心を癒しに集うカフェみたいな感じで
多分ねこうカフェだったと思うんだけど
なんか運営されているっていうことだっ
たんですよ
でその時にはこれなんだなと思ったんですよね
なんかこれだなってっていうのは
私は何度も何度かこのスタイ夫でもお話してるんですけれども
えー私たちの人生って
まあ魂っていうものがあるとするならばですね
うーんまあそれって肉体がまなくなっても魂は生き続けるってまあ
言う考え方ってあるじゃないですか
ででも基本的に何て言うのかな
その魂っていうものがあるとしても
私その次のライヴ性に生きるとしても
多分記憶ってそのまま引き継いでないと思うんですよね
私として記憶は残ってないと思うわけです
誰か別の肉体にだって生まれ変わるのか
でもそこに私の今の今生きている私の記憶っていうのは多分
その新しい肉体の中では引き継がれてないんじゃないかなって
その人が新たに生きる人生で
その人がまたあのー
色々色を付けていくんじゃないかなって思うんですよね
私の魂だったとしてもね
なので来生とか過去生とかっていうのは
ま否定はしないしないとも思わないけれども
私は自分の人生っていうそのリアリティしか
その実感を持って想像できないですよね
だからこそなんかこう
今を大切に生きたいっていう風に思っていてと同時にですね
やはり自分のその命っていうのは
まどう転んでもませいぜい百みたいなね百歳まで生きるみたいな
百年後に自分は生きてないし
今この肢体不を聞いてくださってる人も
おそらく生きてないですよね
で私達っていうのはま土にかえるってことになるわけですよ
だからなんかこう何て言うのかなビジネスをこうする上でね
なんかこううんすごくあの大切なことではあるんだけれども
お金をねしっかりと稼いでっていうのは大切なことなんだけど
まあそれ人間が生きていく上で絶対に必要なものですよね
お金ってね何するでも服を買うん
でも住居に住むんでも何でも置かれてかかりますからね
だから絶対必要なものじゃないですか
でもまあ例えば何だろあの例えば五百人千人受講生がいます
みたいなすごいって思ったりするけどでもね
まあでもそういう人もすごいし何だろう
十人とか二十人とか少ない人数でじっくりね
取り組んで接していくんでも全然いい訳ですよっていうのは
いずれ私たちはフラットに
ゼロとされるからなんですよね
ゼロリセットされるどんなにお金を稼いでも
どんなにこういろんなその資格を取ったり賞を取ったりとか
この今を生きるその人生で努力をしても
最終的にはゼロリセットになる訳ですよね
ゼロリセットしちゃうんだから
まあじゃあもう
武断に生きていけばそれでいいじゃんっていうのもありだけれども
まここで聞いてくださってるあなたっていうのは
おそらく自分の好きなことでビジネスをしていきたい
っていう風にね
思ってる人たちなんだろうなって思うのでええなので
ね
ちょっとあえてそういう話をしたんですけれども
まああのま起業すると
もう結晶なら開けたっていうのは
まあべすとなる数字かなと思うんですよね
まいろんな税金とか払っていくと
そんなにそんなに残らない案外残らないっていう感じ
なんでべースとして目標にするのが
決勝だらけだったと思うんだけどただその何て言うんだろ
うなそればっかり追い求めていくと
心がカラカラに乾いちゃったりとか
男のために私ビジネス始めたんだっけとか
なんかすごくむなしくなる瞬間とかで
生まれてきちゃうんじゃないかなって思うんですよ
で私はあのまあ昔ね
会社員だった頃は自分でも事業を起こしてパラレルキャリアとして
あの十八年ぐらいでやっていたので
ま月商ならっ得たっていうのは
まその時代にはもう達成していたわけですよね
でもですねあのー
その月商のラケット達成するまでっていうのが
まあそのえー努力したりです
とかなんか本当にうまくいくのかなとか
なんか月商稼げるようになったら
そんないろんな道が開けるみたいな
期待を持ちながらこう夢とか目標をね
こう抱きながらこう前に進んでいるそのとき
こそすごく貴重な瞬間だったりするんですよ
すごくワクワクして楽しいっていうね
そういう感じで
決勝なら桁稼げて見た時に
自分の前に開けてた世界っていうのが
どういうものだったかって言うと
何にも変わってなかったんですよね
何にも変わってなかったんですよ
えー全然こうそれまでの私と変わらない生活をしていました
いつもどおり仕事をして
いつもどおり家に帰っていつもどおりのまあ
あの食事を作ってっていうね
そういう普通の生き方というか人生だったわけですよね
だから結局ですねえ
何かこう夢とか目標とかを明確にこう持ってで
どんどんどんどんでこう自分を変えていかなきゃね
やっぱりいけないんだなってことをその時にまぁ気付いてきました
お金を稼いでも
それをどう使うかっていうところがすごく大事なんですよね
どう使うか何かね
あのー節約とか
そういう意識が強くて
何か銀行の通帳の数字が増えていくのがすごく楽しいっていう
モードに入っちゃうとこれで使えなくなっちゃうんですよ
使えなくなっちゃう人をたくさん見てきました
使えなくなっちゃうとどうなるかって言うとね
なんかこうカブとかそういうのに手出したりとか
ま貯金とかでなんかまそれが悪いとは言わないんだけど
お金を増やすっていうことにものすごいこう意識が行っちゃって
お金を増やすことがゴールになっちゃうんですよ
で結局例えばそのお金が増やすことがゴルになっちゃうと
その増えたお金がを減らせた減らしたくないっていうね
そういう何か変なもどに入っちゃって
結局例えばね
例えばじゃあギターが欲しいってなるとするじゃないですか
ギターが欲しいって思っても
思った時にこう
自分がそのギタ一本を手に入れてで最高な気分になって凄くね
その大好きなビートルズの曲が弾けるようになってみたいなねえー
そういったこう
夢とか思いを描きながらお金があるんだったら
だったら最高の一本を手に入れるっていう
ふうに思えればいいんだけど
何か節約モードとか銀行の通帳の数字が減るのが怖い
みたいになっちゃうとそこでね節約モードが出てきちゃって
なんか一万円とかのギター買っちゃったりするわけですよね
で結局なんかこう無難な人生がずっと続いて気が付いたらすごい
年取っててなんかあんまり人生変わってないぞ
みたいなことになりかねなかったりとか
なんか生活自体は年商二百万円ぐらい
でもあの全然暮らせるような生活レベルというか何かこう
昔は一軒家がこういうところに一戸建て
が欲しいと思っていたのにもかかわらず
そのねお金が使えない病院になっちゃって
そしてなんかこう
もう地区三十年とか五十年の団地に住んじゃうと
団地が悪いわけじゃないですよ
団地で済んでなんかこうリノベーションしてね
すごい素敵に暮らしている人たちとかっているんで私
はそういうの結構好きなんでいいんだけど
そこは全然構わないんだけど
自分が一戸建てに住みたいって思っていたのにもかかわらずって
ところが問題なんですよね
でそれをこう達成できる時に
達成しないとやろうと思ったときに使わないとね
結局何も手に入らないってことになっちゃうんですよ
で結局通帳に入ってる
お金がそのまま数字数字となって残るだけでで自分が年を取って
そして最後は土に帰っていくとでそういうことを考えていくと
じゃあ私たちは何のためにビジネスをするでしょう
ってことなんですよね
えーお金を稼ぐで稼いで
で何か夢や目標を実現するこれいいと思うんですよ
まそれ自分を満たすことから始めるのが私はいいと思うんですね
自分の中身がねこう空洞で空っぽで
それを隠しながら人に尽くすとかって
すごくそれらしいじゃないですか
多分そんなのつらくてねできないと思うんですよ
だからまずは自分の心を満たしていくっていうことを
最初にやってほしいんですけれどもでもね
やっぱりこう起業して誰かのために何か残したいってね
思ってるんじゃないかなって思うんですよね
きっとどっか腹の底の感情ではだってね
あのもしお金を稼ぐっていうことだけ
そのお金を稼いで夢や目標を叶えるっていうところだけだ
だからあの男だっていいですよ
働き方っていうのは
お金が稼げば行ければ良いんだったらなんだっていいわけです
あのー別にこだわらなくてもあり
ますよね色んな仕事だけど
自分のその得意とか好きをビジネスにして
そして誰かの役に立ちたいみたいなね
誰かの笑顔を見たいとか
誰かの人生をこう意図的ではなくても
変えるきっかけになれたら嬉しいとかね
そういうところに価値を見出す人たちが
その自分のビジネスで仕事を始めるんじゃないかな
っていう風に思うんですよ
だからあの何て言うのかな
心が折れちゃうっていう時に思い出してもらいたいのは
そのあなたの功績とか
その幾ら稼いだかとかんと
物質としての何かを残したかっていうのは
まあそれはそれでいいんですけれども
繋いで繋がっていくものは何かって言うと思いしかないってことだ
と思うんですよね思いしか繋がっていかないんですよ
お金をたくさん残してもまあ次のね
例えば自分の子供に残して
その子がそのお金を受け継いでで自分のまあ何か家を買ったりとか
車を買ったりとか何かのなんか学びに使ったりとかね
いろいろするんだと思うんだ
けれどもそれ永遠じゃないと思うんですよね
多分ねだから
その人その次の世代の子がうまく増やしていくとか
だったら別だけどだから有限なんですよ
お金ってだけど思いっていうのは
さっきの森のイスキアが海のイスキアとなって沖縄でひっそりとね
思いを受け継いだ人がまた繋いでいるっていうような
そういったことが生まれる
わけですよね
だから親子関係に関しても
思いが伝わっで行けばいいんじゃないかなと思うんですよね
思いが伝わるその親が声の思い
それだけだと思うんですよそれだけで子供はそれを受け取って
それの親孝行に何をすればいいかっていうと
親から教えてもらったことを自分
の娘に受け継いでいくっていう
そうやってね
思いが繋がっていくっていうのがなんかこう
私たちの人類と言うかが唯一残していけるものなんじゃないかな
なんていう風に思っているんですよね
まそれその他にもまあの愛の技術とかいろんなね
何かこう開発とか発見とか研究とかで頑張ってる学者さんたち
そういった人たちもまたなんか何を残しているのかって
やっぱり思いを残してるんじゃないかなと思うんですよね
これを作ることで
自分たちが死んだ後のこのえ次の世代に託す
みたいなバトンを渡すみたいなね
そんな思いでやってるんじゃないかなって思うんですよね
だからそのね
私たちのビジネスで
何か自分が心が折れちゃいそうだって思った時に
ちょっとそれ思い出してください
あの周りがすごいね
華やかでなんかすごい稼いでそうに見えるみたいなので
私なんてもう全然駄目だみたいな風に思っちゃうときとか
あとなんかゼロ一で成果を出す過程
でこのままで本当にゼロ一の成果なんかでるんだろうか
っていう風な不安
恐怖なんか長い飛んでるをこう歩いてるようなそんな不安
そう言ってもらって多分あるんじゃないかなって思うんだけれども
でもねきっと大丈夫だよってことです
うんそういうあのー
新らしさで進んでいけばそれで大丈夫だよってことです
までもそうは言っても
ま綺麗ごときれいごとだけになっちゃいけないと思うんで
えちゃんとね
しっかりと売り上げを作っていくっていうねえことも
大切にしながらその売り上げをつくるっていうことは
自分の価値経験やスキルを価値に変えて
誰かに繋いだってことなのでそれのまぁ
対価としてお金をいただいているっていうことなので
それはあのしっかりとね
受け取って受け止めていくとで
それをまた循環していくっていうことですよね
そういうふうに私は考えています
ということで
今日は青森県の森のイスキアをまちょっとねエピソードを例にして
えーどんな風にやっていけばいいのかなっていうね
つらいときに
どういう風に乗り越えよっていう時のまちょっとね
思い出してもらえたらなっていう感じで
お話をさせていただきました
きょうも素敵な一日を少しください
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